女教師Aの小部屋R

あちこち行ったり観たり食べたり

罪を犯すということと属性

そもそも高崎の事件をもって「オタクだからこの人は犯罪を犯したのだ」という思考がこの事件を報道する側にも,「オタクだから女の子を守ります宣言」をした当人にもそれに反応した人たちにもあるように感じる.

果たしてそうだろうか.

どんなに社会性があってきちんと仕事をしていて友好的で周りにも信用されていても,罪を犯したら犯罪者として認識される.犯罪者とそうでない者とをわけるのは「(法的な)罪を犯したか」ということであって,その人が持つ属性は関係がない(ここでいう属性は職業であるとか,男女の別であるとか,年齢とか,生まれ育ちだとか,そういうものをすべて含む)しかし集団はしばしば犯罪者になった人が持つ属性(高崎の事件の場合はロリコン・オタクという属性)をその犯罪と結びつけようとする.

そしてその属性を持つ人は「同じにするな」という主張をする.

という図式なんだと思うのだけど,どうだろう.