女教師Aの小部屋R

あちこち行ったり観たり食べたり

スケープゴートにされるのはいつでもマイノリティなわけですが

以下は
id:chidarinn:20040507#p1
とそれに対するコメント群を読んだ雑感など.

まず,性教育は児童への個別指導を重視…文科省方針(http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040504i103.htm
について一言.
妊娠のメカニズムと避妊はセットにしていただきたい.シンプルに言うのならそれだけの話なのです.いわゆる外出しは避妊にならねーぞ,とかちゃんとゴムつけろ,とか孕んで困るのはたいがいの場合は母体となる女子なんだぞ,とかその辺をきちんと押さえていただきたい.

そもそも学校で教育として教えるようなことなのか?という根本的な疑問はある.
学校という場は確かに学びの場のひとつではあるけれど唯一の場でないし,人間の集合である以上その意識の中である程度の好みや偏りは避けられないと思う.その偏りを「偏りである」と認めて受容することができずに「偏り=悪」という図式があるのが問題なんじゃないだろうか.あるいは教員がその偏りを善悪の基準だと勘違いして生徒・学生に押し付けることが問題なんであって,その手法のみについてとやかく言うのはナンセンスだと思う.

それとは別の問題として,ヘテロセクシュアルで結婚を基盤とする(ことになっている)現在の日本社会において「健全な異性観」といえば「そこそこの年齢になったら同じ年頃の異性に興味を持ちはじめ赤いスイートピーなおつき合いからはじめ恋愛を経て結婚に至り,次の世代を産み育てられる価値観」なのだと私は考えているわけですが,その大前提からはずれた人はどうすればいいのか.

(こっから追加)

大前提からはずれた人のことは後に述べるとして,性教育という名目のもとに学校という場で公に性が語られることに違和感を覚える人は少なくないであろうし(自分がそういう教育を受けていないのならばなおさらだ)保護者たる大人が自分の子どもが学校で教わってきたことを知りそれについて冷静に判断を下した上で意見をいうのは良いことだ.それは子どもに教育を受けさせる義務を全うする上で重要なことになるだろう.しかし,こと性に関することについては人間は冷静な判断を下しにくいし,ややもするとヒステリックな反応をかえしがちだし,その反応は性教育ということの是非やそこで何を語るかということではなく,その手法であったり語り口であったりということにむけられることが多いように感じる.

で,結局何をいいたいかといえば個人の価値観に左右されるところの多い性ということについて一般化して何かをいうのは難しいし的はずれになるんじゃないの?ってことなのですが.自分と相手を大切にし,お互いを尊重してねってだけじゃん.

話はかわりますがフェミニズムとかジェンダーフリーの話をするわりに色々なバイアスがかかっている人っていますよねっていうか(実生活で何かあったらしい)(どうも職場の苦手な人がこのタイプなので困り中)