女教師Aの小部屋R

あちこち行ったり観たり食べたり

宝塚のトップコンビにみるジェンダー的なあれこれ

宝塚歌劇を観るようになって10年がたちました*1。中学生の頃から宝塚ファン…というよりヅカオタが身近にいたのでなんとなくその仕組みとかスター制度とか小姑かよ!てゆートップ男役ファンの相手役への視線のことは何となく知っていました。なんとも男役上位な世界で、かなり不均衡だなと。だからこそ自発的に観ることなくすごし、学部の同級生からの「友だちが洋服の青山で買い物したら貸切チケットあたったっつーんでチケットもらったんだけど、あかねちゃん観に行かない?」ていうお誘いまで観劇の機会を逃していたともいえます。しかもそのチケットを友だちから貰ったという子は行かず、私ともう一人で観たという。今思うとせっかくのベルばらを「自分は一回宝塚なるものは観てるから」って譲ってくれたなんていい人過ぎる←あとでヒアリングしたところ彼女が観たのはホテルステラマリスだったのではということが判明し、いやいやベルばらみとくべきだろーよって思ったのは内緒です。

それはともかく。

ベルばらがきっかけで安蘭けいさんのファンになり、逡巡の果てに会にも入り、トップお披露目からあれこれを経て退団公演でのお見送りといった調子で楽しくヅカオタライフを送っていたわたくしですが、脚本や演出の端々にん?と言いたくなるものを感じてました。いや、今でも感じています。ベルばらでいうとオスカルとマリー・アントワネットのバランスとかですね。そろそろオスカルとマリー・アントワネットを主軸にマリー・アントワネット輿入れから首飾り事件を経てアントワネットが女王の自覚をもつところまで、からのいきなり「マリー・アントワネットはフランスの女王なのですから」とか断頭台とかのベルばらをやっても罰はあたらないと思うんですけどね。「きょうはベルサイユはたいへんな人ですこと…!」てモノローグの中走り出し、躓いて花道でオスカルに抱き起こされるマリー・アントワネットとかみたいじゃん?私はみたいよ。話が脱線しました。

例えば、壮さんお披露目のベルばらフェルゼン編を夫*2と観た際の幕間第一声は「これさー脚本かいてるの昭和のオヤジじゃないの?」でした。宝塚の脚本…ていうか演出はジェンダー観がかなり古い。私もそう思います。まあ2017年現在そうでもないな?ていう演出家もいらっしゃいますが、それはおいといて娘役は男役を引き立ててナンボ、かーいらしいお嫁さんでナンボ、みたいな雰囲気がないといったら嘘になります。そもそもトップ娘役を「うちのお嫁さん」てすごいよね贔屓の相手役だとしてもおまえの嫁ではなかろう!みたいな。そういうのが端的にあらわれているのがショーでの銀橋の使い方と、デュエットダンスが終わったあとのお辞儀だと私は考えています。銀橋の話はおいといて、お辞儀ですよ。宝塚はお芝居とショーの二本立てが多く、ショーの終わりの方にトップ男役とトップ娘役のデュエットダンスが用意されていることがあります。大階段から、もしくはせりから登場して踊り(人によっては歌ったりもするけど最近は第三者が舞台上か影コーラスで歌ってることが多いイメージ)、途中でリフトがあってくるくるまわれば拍手がおき、最後は銀橋の真ん中で抱き合って終わる、みたいな。 よく言えば様式美、悪く言えばマンネリな段取りです(たまに尺が足りないからダッシュでわたろうか?とかありますけども)。で、終わって真っ暗になった空間にピンスポがあたり、トップ男役がお辞儀をしてフィナーレの前奏と共にはけてゆく…というところまでがよくあるパターンですが、その時トップ娘役が一緒にお辞儀をしてる場合と、お辞儀をする男役をふぁーっと紹介するていで一足早くはけてゆく場合とがあります(あくまで私個人の観劇の範囲内で書いてるので、そうじゃない演目があったら教えてくださいマジで)。で、一緒にお辞儀をする組に比べてはけてくタイプの組の方が、娘役の扱いがきびしー気がします。一緒にお辞儀する組はあくまで互いを個人として扱っている感じだし観客も娘役に拍手するんですが、はけてく組で娘役に拍手しようとしたら隣の友だちにとめられたことがありますからね。マジかよって思ったけど、本当にトップさんと二番手くらいにしか拍手なくてびっくりしたよね<そもそも芝居で娘役トップが登場したところで拍手しようとしたら止められた。

まあそんなわけで、トップコンビの御披露目のたびにそんなことを気にして劇場に足を運んだりしているのですめんどくさいですね!

*1:初観劇は2006年星組ベルサイユのばらです

*2:一度はベルばらなるものを見ておいた方がいいのではないかとそそのかされて観劇。この前に帝劇で涼風さん主演のMAは観劇済。予習としてベルばら原作本も読破済