たまたまRTで流れてきた作者の方のツイートに興味をひかれて読みました。
スポーツを描く上でやらないと決めていたことがあって
— カクイシ シュンスケ 柔のミケランジェロ一巻発売中 (@ekus__nuhs) 2018年6月14日
・シゴキや体罰を肯定的に描かない
・長時間練習で強くさせない
・怪我に耐え頑張る姿を美しく描かない
・女性キャラをトロフィーやエロ要員にしない
・いじめられっ子が強くなるため競技を始めたり、周囲を見返すために奮起させない
などです。
こんなこと言われたら気になるじゃん?ていう。
体育会系部活動と真逆の立ち位置にいる主人公が柔道をうっかりはじめるきっかけがフィギュアなのがオタクあるあるなんだけど、よく見るという特技が身についたのも地道な努力の積み重ねの結果なので興味の行く先がかわればフィジカルに強くなる方向に変かもするよねっという印象です。というのも、私の知人の中でトップオブリア充みたいな人は趣味がマラソン(たまにトライアスロン)とテニスと料理という人なんですが、それらへの向き合い方とかアプローチの仕方がものっそいオタクなんですよ。リア充でキラキラ女子なんだけど気質がオタクっていう…。というようなことを見ているので、人は真逆のようなことをはじめても不思議ではないのです。というか主人公の場合は元々「アクション映画のワンシーンをコマ撮りアニメで再現する」という趣味があって、人の動きを観察するというのができているので、「アクション映画のようなことが自分にも実はできる」かもしれないっていうのを知った時点でだいぶアドバンテージがあるよなと。理屈がわかってるけど物理的に追いつきません!ていうのと、意味が分からないけどがむしゃらにやることに意義があるしそのうち体得できるはず!ていうのの間には深くて暗い河が流れていて、いわゆるスポーツものってどっちかというと後者の比重が大きかったと思うんですよ。それが一種のとっつきにくさというか、小学校中学校の体育のイヤなイメージにもつながっているのではって考えているんですけど。
顧問の先生*1が練習時間の制限とかシゴキ禁止を掲げているのも新しいなと思います。未だに根性論で部活やっては悲しいニュースになるっていう結果が散見される中で、ちゃんとしようっていうのをフィクションの中でも描いているのが好ましいなと。
続きが楽しみなマンガが増えましたいえーい。
*1:話が続けばそのうちこの先生の過去話とかもやってくれるのではものっそい読みたいよねなんか過去にいろいろあってもうシゴキはしないと決めたりとかしてそうじゃないですかもちろんそうじゃない流れで今の指導方針になってるならそれはそれですばらしいですけど<っていう話を一気にまくしたてる勢いです