私が女子大に通ったわけ

中・高と女子校ライフをエンジョイした(しすぎたともいえる)私は大学受験にあたり「やっぱり通うなら女子大がいいわ」と思っていた.ような気がする.まあ服飾史をやるとしたら女子大しか選択肢がないというのもあるんだけどもう一つ選択肢として考えていた心理学でも女子大がいいなあ,とぼんやりと考えていたのだ.結果から先に言うと私は修士課程修了まで合計12年女子校に通い,ブランクを経て転職を機にまた女子校ライフに戻って現在に至る.

そもそも受験する*1中学をその女子校に決めたのは中学受験をして選ぶ学校に女子校が圧倒的に多かったからだ.
私が中学受験をした頃,都内の上位ランクの学校の中で共学は慶応の中等部しかなかった.ここで合格できる女子はわずか40人.ものすごく狭き門だったと思う.私も親が慶応だったので記念受験はしたけれど,さして未練もなく1日に受けた某女子校*2に入学した.
私が入学した学校は「女子にも高等教育の機会を」という目標でもって創設された学校で,明治・大正の頃の卒業生をみると地方から勉学の志に燃えて入学する人も多く,フェミニズムに少なからずかかわる人もいたりした.良妻賢母という観念はあまりないし女性として,というよりは「人間としてどう生きるか」を問う学校だったように思う.先生方も生徒と対等に(今思うときちんと未成年としての保護アリで)クラスとか学年で括らずに一人の人間として扱ってくれた.まあ学年やクラスによって特色というのは出るので「この学年は」とか「このクラスは」という言葉ではじまるフレーズもあるにはあったが,すべてをそれで片付けようとはしなかったように感じる.
そこで10代の大半をすごしたことに私は感謝しているし,私は男女別学に意義はあると思うのだけど,それについての土台はこの6年間からきている.

大学受験をなんとかクリアし某女子大の被服学科に入学した私はそこでも女子校ライフを謳歌することになる.
何故私が女子校が好きかといえば,暗黙の了解のように存在する「これは女子の仕事,これは男子の仕事」というものがなく,それ故の甘えがないことがあげられる.
個人指導の塾で教えていた時のことなのだけど,私は共学に通っている女の子たちと相性が悪かった*3.教えていたのが数学だというのを差し引いても(数学の講師ってだけで敵視されることも多いのだ)受け持っている教科だとか教え方なんかと別のところで「あの先生,私が女の子なのに甘くないから嫌」と言われてしまったことがある.
どうやら彼女の頭の中には以下のような図式があったらしい.

 数学=理系=男の子の得意な科目→女の子である自分は苦手であたりまえなんだから勉強させようとする先生が悪い

個人指導の塾にくる生徒というのは引っ込み思案で集団の中で自分から質問できなかったり,学校のクラス授業についていけなかったりする子が多いから学力的にはそんなに高くない子がくることも多い(逆に出来がよくてどんどん先に進みたいけど塾という集団が駄目,という子もいたが)
よく「私バカだからわかんな〜い」と言ってテキストを投げようとする子はいるけど(私だって小学生の頃そうやってテキストを母に投げつけたこともあるし)そんな論理は初めてきいたよ.自分の能力を性別のせいにするな,と言ったけど結局それは届かず別の先生に担当が変わった.

これは極端な例だけど.
共学=平等なんて言い切れない.別学が平等だともいえないけど,そろそろ私たちは平等の定義を考えなおした方がいいと思う.

なんか途中でやっぱり話が変わってないか?私….

*1:何故中学受験をしようと思ったかは論旨からはずれるので割愛

*2:都内の中学受験は2/1にはじまり1日に受験する学校が第一志望になることが多いです.御三家と呼ばれる学校は特殊例を除いて1日に入試があります

*3:逆に男子や女子校に通う女子とは相性がよかった.まあこういう風にカテゴリ分けするのもちと危険だが